2007.01.30 大学入学
大学に入学したのはもう22年も前になる。あの頃のことは今でも昨日の

ことのように憶えている。

故郷から初めて一人暮らしをすることのワクワクした気持ちや不安、そしてなんともいえない高校時代の友人たちへの郷愁。

好きだったあの娘への切ない気持ち。

父や母に対する複雑な感情。


しかしここからすべては始まった。特急電車に揺られながら大学では一体何をしようかと考えていた。

大学に学問をやりにいくなんて全く考えてもいない。


高校時代に音楽をやっていた私は、ギターを持って電車に乗り込んだ。

これから出会う様々なものに心が躍った。

特急電車で6時間くらいの距離が、長く長く感じられた。

一人暮らしはもちろん初めてである。大学生だというだけで、明るい未来が待っているかのような気持ちだった。

私こそ、何の目的もなく大学に入学してしまった人間だ。

受験のことで頭が一杯で先のことなど考える余裕は全くなかった。

何が私を待っているのか。

たどり着いた下宿先の天井の木目を見ながら、これからのことについて考えた。





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2007.02.03 これが大学?
大学に入学して一番最初に驚いたのが、新入生に対するガイダンスでの学事部の職員の話だった。

「とにかく留年だけはしないでください」

この大学は国立大学、偏差値は当時で60以上。決して悪いほうではない。しかしその大学で、毎年留年者が続出して困っているのだという。

2割から3割が進級できないなどといっていたような気がする。大学で単位をとることは決して難しくない。なのになぜ。

この疑問は入学してすぐに明らかになった。

大学生はとにかく勉強しない。当時の大学生は本当にそうだった(今もそうだろう)。

そして現実に入学時に顔を合わせたきり、その後顔を見ることもない学生は決して少なくはなかったのである。

みんな目的を見失っていた。大学にはすぐに来なくなった。ただ先生もそのへんはわきまえていて、出席をきちんととって学生を教室にこさせる先生もいることにはいた。

しかし多くの大教室で行われる授業はどんどん参加者が減っていった。

学問に最初から興味があったわけではないから、そんなに勉強しないのもわかるのだが、最低限の条件もクリアできずに留年していくのだから相当ひどいものである。

私は家庭の事情で絶対に留年はできなかったので、授業には必死で参加した。ただ正直に言って全く面白くなかった。

今でも印象に残っている先生や授業はほとんどないのである。そう考えると大学の教室で学ぶよりもアルバイトや遊びの中で様々なことを学んだほうがずっと成長できるという気もする。

これは今の時代でも大学が抱えている問題なのではないだろうか。

「自由」はそれだけでは何も生み出しはしないのだ。





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大学に入学してしばらくするとあるサークルに入部することにした。

音楽系のサークルだ。新入生が入部した初日にさっそくコンパが開かれた。しこたま飲まされ、吐いた。


これが大学生なのだろうがさすがに疲れた。こんな日がかなり多くて、その気になれば毎日がお祭り。そうやって過ごすこともできる。

私は入学当初もその後も単位を取得する必要のある授業はきちんと出ようと決めていたのだが、そのことで先輩にいちゃもんをつけられたことがある。

授業以外にも時々図書館などで勉強や読書をしていた私のことを知っていたその先輩は、ある飲み会の帰り道
                               「お前はなんだか勉強をしているみたいだが、大学に来て勉強するなんて馬鹿なことをするな。もっと遊べ」

といわれた。なぜだかそのとき私は謝ってしまったのだが、それほどまともに勉強する学生が異常な扱いをうけるような雰囲気があった。
 
私はこのような雰囲気の大学の中でこれから一体どのように4年間を過ごしていくべきなのか真剣に考えさせられた。

サークルやコンパなどはそれなりに楽しかったのだが、同時にひどいむなしさも感じていた。この状態で4年間はないだろうと思った。



今の大学生たちは学生生活をどのように感じているだろうか。




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学生時代の大きなテーマは心の友を見つけることだ。

私はその意味では本当にラッキーだった。

私の所属していた音楽系のサークルにNという男がいて同じ県の出身だったこともあり、すぐに打ち解けた。

音楽の趣味などが一致していたことも仲良くなった要因だったろう。

とにかくこのNという男には何でも話せる気がして、いろんな話をした。自分の本当の気持ちや考えを隠さずに話せた。

自分から心を開かないと決して本当の友達はできないと思う。

最近の学生はどうだかわからないが、人から声をかけてもらうのを待っていたり、何に対しても受身の学生は当時もとても多かった。

学生時代にどんどん孤独になっていく学生は、このように人とコミュニケーションをとらない学生が非常に多い気がする。

コミュニケーションが苦手なのではない。

コミュニケーションをしないのだ。

私の場合、このような心友を得たことがその後の4年間を実に実りの多いものにした。

私はどちらかといえば内向的なタイプだったが、そのNは外向的で明るかった。

私たちはお互いに足りない部分を補完しあうようにして学生時代を過ごしたのである。

学生時代はまず、共に理解しあい向上できる友達を作りたいものだ。

この本を読んでみて、といって薦められたのが

「竜馬がゆく」司馬遼太郎著 であった。

私はもともと本を読むのは嫌いではなく、高校時代からずいぶん多くの本を読んでいたが、受験勉強の合間をぬっての読書だったのでじっくり読むというわけにはいかなかったのである。

大学生は必読の書ではないかと思う。幕末から明治維新のころは日本史上最も若者が輝いていた時代だと私は思う。

このような恵まれた時代のほんの100年前に、新しい国を作るために命を散らした若者が数多くいたことを忘れたくはない。

私はこの本を1日1冊のペースで読んで8日で読み終えた。

日本史の授業で学んでいた多くの歴史上の人物の名がはじめて生きた知識となって私の中に流れ込んだ。

大学でいっしょうけんめい勉強しようと思ったのはこの本を読んだおかげだ。向学心に火がついた。

お金はあまりなかったが、せっせと本を買って読むようになった。




2007.02.11 何しようか
色々な本を読んで考え事をしている時間が長くなった。

大学のよさをあえて言えば「考える時間」がたくさん取れること。

しかし、多くの大学生たちはこの時間を使いこなせず、自由な時間を自らの堕落のために放棄していく。まさに「自由からの逃走」だ。


私は絶対に留年はできないという気持ちはあったので、授業だけはきちんと出席、単位をしっかりとってその後、自由な時間を確保しようと考えた。

大学ではなぜか授業に出ないことや、不真面目な学生であることが「かっこいい」ような雰囲気があった。

確かに有名人や成功者の中には浪人や留年の挫折を味わった人がいたりもする。

しかし彼らは浪人や留年はしたけれどもそれを生かして成功したのであって、浪人や留年をすれば成功するというわけではない。

それどころか多の大学生は大学での基本的な学びをおろそかにして、逆に真摯な向上心や克己心を失ってしまう。

進級や卒業に必要な単位をそろえるための授業にはきっちりと出席し、その前提で自由になる時間をいかに使うかを考えようと、そう思った。

大学受験が終わって目標を見失った自分に、何か目標を与えようと考え始めた。



学生時代のちょっとしたエピソード。

西洋史の教授が、「君たちの中には一人暮らししている人もいるだろうが、お金に困っても変なところにお金を借りたりしてはいけない。そんなことになったら私に相談しなさい」

と言われた。貧乏暮らしの私は、「なんて親切な先生なんだろう」と思ったものだが、このような話をされるということは以前にそんな学生がいて困った事件にでもなったということだろう。

学生にとってのお金についてはまた別の機会に述べたいのだが、お金と異性に関しては学問的な知性や偏差値的知性は全く役に立たない。

どんな秀才でもお金と異性で道を誤ることがあるのだ。
少なくともお金がないといって金利の高い金融会社から借り入れるという発想は「社会的知性」が欠けているといわざるをえない。しかしやはりそれでもその場しのぎでそうしてしまうのである。

大学時代は世の中についても広く学ぶ必要があることをこのとき私は感じた。

むろん私は天下の臆病者で、そんなところからお金を借りるということなど怖くてできなかっただろうが。

そんな貧乏な私は、心友であったNから使い古しの自転車をもらうことになって喜んでいた。これで歩かなくてすむ。
2007.02.13 自転車が。
自転車を買う金もなっかた私は友人Nの計らいで自転車をもらえることになった。

どこに行くにも徒歩だった私は、大喜びでもらいに行った。
夕方Nのうちに行ってしばらく話しをし、自転車置き場においてあった自転車をもらって帰ることにした。

ただライトが壊れていて点かない。これはさすがに自分で金を出して修理しようと思ってそのまま無灯火で家路を急いだ。

もうあたりはすっかり暗くなっている。喜びいっぱいにペダルを漕いだ。交差点を右折しようとしたとき、前方からまぶしい光が目に入ってきた。

あっ

ガシャン。

5メートル以上跳ね飛ばされたらしい。

気がついたら若い男女が私を抱きかかえていて、救急車が呼ばれ、病院に直行。顔面から地面に落ちて顔は血まみれ。

突然の悲劇。自転車は一日も活躍せずにぐしゃぐしゃ。
医者が私に最初に言った言葉「君は運がいい。生きている」
「昨日運ばれてきた人は、もう死んでた」

治療を終えて入院することになったが、とりあえず部屋がなく緊急治療室のようなところに寝かされた。となりでばあさんが「うーうー」とうなっていてとても眠れなかった。

自分では体のあちこちが痛くて、一体どのくらい入院しなければならないのか、見当もつかなかった。大変だ、明日は語学の授業がある。欠席は非常にまずい。

実はこの入院、私にとっては人生ではじめての経験だった。
健康だった私はこの入院のおかげでいろんなことを学んだ。




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翌日。

普通の病室に移された。看護婦さんはみんな親切で、若い人が多かった。友達が次々にお見舞いに来て、下宿先のおばさんもやってきた。
おばさんは私の悲惨な姿(顔はガーゼで覆われて誰だかよくわからない)を見て涙を流していた。

人の情けが身にしみた。

その日の昼に父親から病院に電話が入り、一番心配していなければならないその人は

「保険に入っているから一週間は病院に入院したほうがいい」

といった。えっ?

入院が一週間以上で保険金が下りるという。

「わかった」といった自分が少し情けなかった。

その日、授業にはとても出ることができず、欠席。語学は3回休んだら単位をつけない、ということだったので正直あせった。回復は思ったよりもかなり早く外出は可能な状況になった。

医者はなぜかもう退院してよいとはいわず、「まあまあ、ゆっくりしなさいよ」などといっていた。私を自転車ごと飛ばしたバイクの保険によって私の入院費はまかなわれることになるから、私が入院しても誰も損をしないのだ。医者と私の利害は一致。
父親の言いつけをよく守って、結局12日間入院した。

語学だけは出席しなければまずいので、私としては早く退院したかったのだが、医者に相談すると「ここから通学すればいい」という。
そうして何日かは病院から大学に通った。

そういえば私のベッドの隣の人はかなり元気だった。
ほんとにどこか悪いのかな、と思えるほどだ。
そんな人が結構いて、実はみんなズルで入院しているんじゃないかと思うようになった。

私も同罪なのだが、入院中はかなりたくさんの本を読んだ。
少しずつ何かやろうと思い始めたのは、この入院という退屈な日常があったおかげだ。人間は何かをするために生まれて、何かをするために生きているのである。

ただ寝ているだけ、黙っていても食事が運ばれてきて、暇はあるが何もできない状態は決して幸せな状態ではない。

少しずつ夏が近づいていた。

私が病院でよく読んでいた本。



大学に入学して4ヶ月ほどが過ぎた。

最初の頃の初々しい気持ちは薄れ、毎日がつまらないものになっていった。あれほど受験勉強から開放されたい、自由になりたいと思った高校時代がうそのように、倦怠感と無力感が私を支配した。

何の目標もなく、何の理想もない大学での生活は、緩慢な入院生活のようなものだ。心が晴れない。

これからの目標や計画を立てなければ、このまま無駄に時間が過ぎてしまう。

私の親友のNも同じ気持ちだったようだ。
とにかくこのままではいけない。当面やるべきことを決めよう。

夏休みを前に、私とNは相談した。

夏休みに実家に帰ったら自分の目標を考えてお互いに確認しよう。

今振り返って思うのは、この時期にもっと長期的な人生計画を練っていればよかった、ということだ。将来の自分の人生の道筋をきちんと思い描いていれば、と思うことがある。


夏休みに入って、私は実家に帰省した。語学だけはしっかりと勉強しようと思っていた。

実家に帰ると、高校時代同じクラスだったメンバーも大学生として夏休みを迎えていた。その旧クラスメイトたちはアルバイト、自動車学校、パチンコ、マージャン、忙しく遊んでいた。

私は図書館に通い語学の勉強と読書に明け暮れた。
自分の将来の目標を定めるためだ。



学生時代にこんな本に出会いたかった。