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2007.01.30 大学入学
大学に入学したのはもう22年も前になる。あの頃のことは今でも昨日の

ことのように憶えている。

故郷から初めて一人暮らしをすることのワクワクした気持ちや不安、そしてなんともいえない高校時代の友人たちへの郷愁。

好きだったあの娘への切ない気持ち。

父や母に対する複雑な感情。


しかしここからすべては始まった。特急電車に揺られながら大学では一体何をしようかと考えていた。

大学に学問をやりにいくなんて全く考えてもいない。


高校時代に音楽をやっていた私は、ギターを持って電車に乗り込んだ。

これから出会う様々なものに心が躍った。

特急電車で6時間くらいの距離が、長く長く感じられた。

一人暮らしはもちろん初めてである。大学生だというだけで、明るい未来が待っているかのような気持ちだった。

私こそ、何の目的もなく大学に入学してしまった人間だ。

受験のことで頭が一杯で先のことなど考える余裕は全くなかった。

何が私を待っているのか。

たどり着いた下宿先の天井の木目を見ながら、これからのことについて考えた。





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2007.02.03 これが大学?
大学に入学して一番最初に驚いたのが、新入生に対するガイダンスでの学事部の職員の話だった。

「とにかく留年だけはしないでください」

この大学は国立大学、偏差値は当時で60以上。決して悪いほうではない。しかしその大学で、毎年留年者が続出して困っているのだという。

2割から3割が進級できないなどといっていたような気がする。大学で単位をとることは決して難しくない。なのになぜ。

この疑問は入学してすぐに明らかになった。

大学生はとにかく勉強しない。当時の大学生は本当にそうだった(今もそうだろう)。

そして現実に入学時に顔を合わせたきり、その後顔を見ることもない学生は決して少なくはなかったのである。

みんな目的を見失っていた。大学にはすぐに来なくなった。ただ先生もそのへんはわきまえていて、出席をきちんととって学生を教室にこさせる先生もいることにはいた。

しかし多くの大教室で行われる授業はどんどん参加者が減っていった。

学問に最初から興味があったわけではないから、そんなに勉強しないのもわかるのだが、最低限の条件もクリアできずに留年していくのだから相当ひどいものである。

私は家庭の事情で絶対に留年はできなかったので、授業には必死で参加した。ただ正直に言って全く面白くなかった。

今でも印象に残っている先生や授業はほとんどないのである。そう考えると大学の教室で学ぶよりもアルバイトや遊びの中で様々なことを学んだほうがずっと成長できるという気もする。

これは今の時代でも大学が抱えている問題なのではないだろうか。

「自由」はそれだけでは何も生み出しはしないのだ。





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大学に入学してしばらくするとあるサークルに入部することにした。

音楽系のサークルだ。新入生が入部した初日にさっそくコンパが開かれた。しこたま飲まされ、吐いた。


これが大学生なのだろうがさすがに疲れた。こんな日がかなり多くて、その気になれば毎日がお祭り。そうやって過ごすこともできる。

私は入学当初もその後も単位を取得する必要のある授業はきちんと出ようと決めていたのだが、そのことで先輩にいちゃもんをつけられたことがある。

授業以外にも時々図書館などで勉強や読書をしていた私のことを知っていたその先輩は、ある飲み会の帰り道
                               「お前はなんだか勉強をしているみたいだが、大学に来て勉強するなんて馬鹿なことをするな。もっと遊べ」

といわれた。なぜだかそのとき私は謝ってしまったのだが、それほどまともに勉強する学生が異常な扱いをうけるような雰囲気があった。
 
私はこのような雰囲気の大学の中でこれから一体どのように4年間を過ごしていくべきなのか真剣に考えさせられた。

サークルやコンパなどはそれなりに楽しかったのだが、同時にひどいむなしさも感じていた。この状態で4年間はないだろうと思った。



今の大学生たちは学生生活をどのように感じているだろうか。




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学生時代の大きなテーマは心の友を見つけることだ。

私はその意味では本当にラッキーだった。

私の所属していた音楽系のサークルにNという男がいて同じ県の出身だったこともあり、すぐに打ち解けた。

音楽の趣味などが一致していたことも仲良くなった要因だったろう。

とにかくこのNという男には何でも話せる気がして、いろんな話をした。自分の本当の気持ちや考えを隠さずに話せた。

自分から心を開かないと決して本当の友達はできないと思う。

最近の学生はどうだかわからないが、人から声をかけてもらうのを待っていたり、何に対しても受身の学生は当時もとても多かった。

学生時代にどんどん孤独になっていく学生は、このように人とコミュニケーションをとらない学生が非常に多い気がする。

コミュニケーションが苦手なのではない。

コミュニケーションをしないのだ。

私の場合、このような心友を得たことがその後の4年間を実に実りの多いものにした。

私はどちらかといえば内向的なタイプだったが、そのNは外向的で明るかった。

私たちはお互いに足りない部分を補完しあうようにして学生時代を過ごしたのである。

学生時代はまず、共に理解しあい向上できる友達を作りたいものだ。

この本を読んでみて、といって薦められたのが

「竜馬がゆく」司馬遼太郎著 であった。

私はもともと本を読むのは嫌いではなく、高校時代からずいぶん多くの本を読んでいたが、受験勉強の合間をぬっての読書だったのでじっくり読むというわけにはいかなかったのである。

大学生は必読の書ではないかと思う。幕末から明治維新のころは日本史上最も若者が輝いていた時代だと私は思う。

このような恵まれた時代のほんの100年前に、新しい国を作るために命を散らした若者が数多くいたことを忘れたくはない。

私はこの本を1日1冊のペースで読んで8日で読み終えた。

日本史の授業で学んでいた多くの歴史上の人物の名がはじめて生きた知識となって私の中に流れ込んだ。

大学でいっしょうけんめい勉強しようと思ったのはこの本を読んだおかげだ。向学心に火がついた。

お金はあまりなかったが、せっせと本を買って読むようになった。




2007.02.11 何しようか
色々な本を読んで考え事をしている時間が長くなった。

大学のよさをあえて言えば「考える時間」がたくさん取れること。

しかし、多くの大学生たちはこの時間を使いこなせず、自由な時間を自らの堕落のために放棄していく。まさに「自由からの逃走」だ。


私は絶対に留年はできないという気持ちはあったので、授業だけはきちんと出席、単位をしっかりとってその後、自由な時間を確保しようと考えた。

大学ではなぜか授業に出ないことや、不真面目な学生であることが「かっこいい」ような雰囲気があった。

確かに有名人や成功者の中には浪人や留年の挫折を味わった人がいたりもする。

しかし彼らは浪人や留年はしたけれどもそれを生かして成功したのであって、浪人や留年をすれば成功するというわけではない。

それどころか多の大学生は大学での基本的な学びをおろそかにして、逆に真摯な向上心や克己心を失ってしまう。

進級や卒業に必要な単位をそろえるための授業にはきっちりと出席し、その前提で自由になる時間をいかに使うかを考えようと、そう思った。

大学受験が終わって目標を見失った自分に、何か目標を与えようと考え始めた。



学生時代のちょっとしたエピソード。

西洋史の教授が、「君たちの中には一人暮らししている人もいるだろうが、お金に困っても変なところにお金を借りたりしてはいけない。そんなことになったら私に相談しなさい」

と言われた。貧乏暮らしの私は、「なんて親切な先生なんだろう」と思ったものだが、このような話をされるということは以前にそんな学生がいて困った事件にでもなったということだろう。

学生にとってのお金についてはまた別の機会に述べたいのだが、お金と異性に関しては学問的な知性や偏差値的知性は全く役に立たない。

どんな秀才でもお金と異性で道を誤ることがあるのだ。
少なくともお金がないといって金利の高い金融会社から借り入れるという発想は「社会的知性」が欠けているといわざるをえない。しかしやはりそれでもその場しのぎでそうしてしまうのである。

大学時代は世の中についても広く学ぶ必要があることをこのとき私は感じた。

むろん私は天下の臆病者で、そんなところからお金を借りるということなど怖くてできなかっただろうが。

そんな貧乏な私は、心友であったNから使い古しの自転車をもらうことになって喜んでいた。これで歩かなくてすむ。
2007.02.13 自転車が。
自転車を買う金もなっかた私は友人Nの計らいで自転車をもらえることになった。

どこに行くにも徒歩だった私は、大喜びでもらいに行った。
夕方Nのうちに行ってしばらく話しをし、自転車置き場においてあった自転車をもらって帰ることにした。

ただライトが壊れていて点かない。これはさすがに自分で金を出して修理しようと思ってそのまま無灯火で家路を急いだ。

もうあたりはすっかり暗くなっている。喜びいっぱいにペダルを漕いだ。交差点を右折しようとしたとき、前方からまぶしい光が目に入ってきた。

あっ

ガシャン。

5メートル以上跳ね飛ばされたらしい。

気がついたら若い男女が私を抱きかかえていて、救急車が呼ばれ、病院に直行。顔面から地面に落ちて顔は血まみれ。

突然の悲劇。自転車は一日も活躍せずにぐしゃぐしゃ。
医者が私に最初に言った言葉「君は運がいい。生きている」
「昨日運ばれてきた人は、もう死んでた」

治療を終えて入院することになったが、とりあえず部屋がなく緊急治療室のようなところに寝かされた。となりでばあさんが「うーうー」とうなっていてとても眠れなかった。

自分では体のあちこちが痛くて、一体どのくらい入院しなければならないのか、見当もつかなかった。大変だ、明日は語学の授業がある。欠席は非常にまずい。

実はこの入院、私にとっては人生ではじめての経験だった。
健康だった私はこの入院のおかげでいろんなことを学んだ。




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翌日。

普通の病室に移された。看護婦さんはみんな親切で、若い人が多かった。友達が次々にお見舞いに来て、下宿先のおばさんもやってきた。
おばさんは私の悲惨な姿(顔はガーゼで覆われて誰だかよくわからない)を見て涙を流していた。

人の情けが身にしみた。

その日の昼に父親から病院に電話が入り、一番心配していなければならないその人は

「保険に入っているから一週間は病院に入院したほうがいい」

といった。えっ?

入院が一週間以上で保険金が下りるという。

「わかった」といった自分が少し情けなかった。

その日、授業にはとても出ることができず、欠席。語学は3回休んだら単位をつけない、ということだったので正直あせった。回復は思ったよりもかなり早く外出は可能な状況になった。

医者はなぜかもう退院してよいとはいわず、「まあまあ、ゆっくりしなさいよ」などといっていた。私を自転車ごと飛ばしたバイクの保険によって私の入院費はまかなわれることになるから、私が入院しても誰も損をしないのだ。医者と私の利害は一致。
父親の言いつけをよく守って、結局12日間入院した。

語学だけは出席しなければまずいので、私としては早く退院したかったのだが、医者に相談すると「ここから通学すればいい」という。
そうして何日かは病院から大学に通った。

そういえば私のベッドの隣の人はかなり元気だった。
ほんとにどこか悪いのかな、と思えるほどだ。
そんな人が結構いて、実はみんなズルで入院しているんじゃないかと思うようになった。

私も同罪なのだが、入院中はかなりたくさんの本を読んだ。
少しずつ何かやろうと思い始めたのは、この入院という退屈な日常があったおかげだ。人間は何かをするために生まれて、何かをするために生きているのである。

ただ寝ているだけ、黙っていても食事が運ばれてきて、暇はあるが何もできない状態は決して幸せな状態ではない。

少しずつ夏が近づいていた。

私が病院でよく読んでいた本。



大学に入学して4ヶ月ほどが過ぎた。

最初の頃の初々しい気持ちは薄れ、毎日がつまらないものになっていった。あれほど受験勉強から開放されたい、自由になりたいと思った高校時代がうそのように、倦怠感と無力感が私を支配した。

何の目標もなく、何の理想もない大学での生活は、緩慢な入院生活のようなものだ。心が晴れない。

これからの目標や計画を立てなければ、このまま無駄に時間が過ぎてしまう。

私の親友のNも同じ気持ちだったようだ。
とにかくこのままではいけない。当面やるべきことを決めよう。

夏休みを前に、私とNは相談した。

夏休みに実家に帰ったら自分の目標を考えてお互いに確認しよう。

今振り返って思うのは、この時期にもっと長期的な人生計画を練っていればよかった、ということだ。将来の自分の人生の道筋をきちんと思い描いていれば、と思うことがある。


夏休みに入って、私は実家に帰省した。語学だけはしっかりと勉強しようと思っていた。

実家に帰ると、高校時代同じクラスだったメンバーも大学生として夏休みを迎えていた。その旧クラスメイトたちはアルバイト、自動車学校、パチンコ、マージャン、忙しく遊んでいた。

私は図書館に通い語学の勉強と読書に明け暮れた。
自分の将来の目標を定めるためだ。



学生時代にこんな本に出会いたかった。
夏休み、自分はこの大学時代に何を目標にしようかと考えた。

目標というものをあまり硬く考えると、結局何も設定できないものだ。

なんでもいい。とにかくやってみること。

私は法学部に所属していたので、どうせなら難しいことを目標に設定したほうがいいだろうと考えた。

法律を学ぶものが目指す最も難しい試験、司法試験。
しかし私はこの試験に関する基本的な情報も何も知らなかった。
ただ難しい試験というだけの認識。

色々な本や雑誌を立ち読みして、情報を収集した。
合格者の平均年齢は28歳。多くの合格者が20歳代という貴重な時期を試験勉強にあててようやく合格できる試験。

現在と違い、法科大学院も司法制度改革もない。毎年合格者が500名程度の狭き門。目標とするには十分だ。

私は当面、司法試験の勉強をすることに決めた。
当面というのは、自分が本当に法律家になりたかったのかといえばそんなことはわからなかったし、ある意味ではどうでもよかった。とにかく今のような倦怠感に包まれた日常を脱却するための何かが必要だった。

よし。やるぞ。

法律書との格闘が始まった。しかし・・・・



資格試験の裏技的!?勉強法ver.3
2007.02.17 法律を学ぶ
そのようなわけで

法律の勉強を始めた。大学の授業は教養部ということでほとんど専門科目の授業はなかった。憲法や法学などの授業はあったものの、もともと資格試験のための授業ではないから要領を得ない。

独学でやるしかないと決めた。

夏休みが終わってからも本屋、図書館、自宅を巡回しながら勉強した。
大学の授業は受けていたが、やはり自分で目標を決めたほうが心の張りがちがう。

大学生のほとんどは現在でも「受身の授業」に最も不満や面白くなさを感じているようだ。

しかし、大学のような高等教育機関では「勉強させる」というような方法をとった場合、義務教育に近い形をとらざるを得ず、そもそも自分で課題を見つけたり進んで目標を設定したりする力をつけることができない。

勉強しなければならない時期なのだが、大学は学生に勉強を強いるというような形態はなかなか取れないのである。

あとは自由の多い大学の生活の中で、いかにその自由を使いこなすかという学生のモティベーションがかなり大きくその学生の4年間を左右してしまうのである。

私は「司法試験」という当面の目標を設定したおかげで、毎日の生活やそのリズムが劇的に変化した。

目標は本当に大切だ。

ひたすら基本書を読み続けたのだが、わからないことだらけ。
この状態を継続することはかなり苦しかった。遊びまくる大学生たちを尻目に見ながらの孤独な戦いが始まった。





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2007.02.18 大学の試験
大学での初めての試験。

それは前期末試験だった。その試験が終了するとまたしばらく長い休みに入る。試験前は図書館もごった返していた。授業に出ている者からノートを借りてきてコピーするものが多く、生協のコピー機の前には多くの学生が列をなしている。

私はノートをコピーするお金も惜しかったので、十分でない科目も自力でがんばろうと思った。

この時期だけは大学生も勉強する。

しかし、これは勉強なのかといえば厳密にはそんな代物でもないようなそんな気がして、ますます嫌気がさした。この試験ですでに成績が悪く単位を落とすものも出てきた。まだ入学して半年だ。

また、この前期末試験が終わると、図書館はもぬけの殻になってしまった。試験が終わった数日後、Nと一緒に図書館に行ったが、誰もいなかったのでびっくりしたことがある。

すごいところだ。だれも勉強していない。

私は逆にますますやる気になってきた。こんな大学生と一緒になってたまるか、と思った。この頃景気は非常によかった。大学生は何も勉強しなくても十分に就職にありつけたのだ。

これは大学生が勉強しない一番の理由だったかもしれないし、軽薄短小などがもてはやされ、努力、忍耐、根性なんて言葉が笑い飛ばされていた時代だった。大学はプレイグラウンド。

私は勉強していてもまだまだ確信が持てないでいた。
こんな過ごし方は自分が間違っているのだろうか、と。
この頃はしかし「学生時代に何をすべきか」などという本をたくさん読んで自分を勇気づけた。

そしてなによりNの存在。お互いに自分の気持ちを自由に語り合い励ましあって勉強や読書を続ける日々を送った。

青春をどう生きるか―いまやらなくて、いつやれる (1981年)

もはや古典的な本かもしれないが、加藤諦三氏の本は自分を励ますために必要なものだった。最近の学生はこのような本はもう読まなくなったのだろうか。

2007.02.19 教授を訪ねて
試験休みに入った私は、何人かの教授の研究室を訪ねてみることにした。英語の先生、西洋史の先生そして法学の先生など。

研究室に行ってみるとほとんどの教授は快く迎えてくれた。
中には「研究室を学生が訪ねてきるのは久しぶりだ」といっていた教授もいた。意外に学生は訪ねてこないのだという。

私はそこで語学の教材を借りたり、本を借りたり、いろいろな話を聞いたりして非常に有意義な時間を過ごすことができた。

先生方はこのような学生との個別のコミュニケーションを嫌いではないらしく、気さくにあれこれと話しをされた。

どんな相手であっても自分から働きかけていくことで多くのものを得ることができる。相手に対して壁を作ると出会いを無駄にすることになる。私は強くそのことを自覚した。

何でもやってみよう。

そんな気になった。もともと私はさして行動的でなく、人の出方を待ってしまうほうだ。しかしそれでは失うものが多いのも事実だ。高校までの私が全くそうだった。

もっと積極的に、話しかけていれば。
もっと自分から心を開いていれば。
もっと出会えた人と多くのものを分かち合っていれば。

そんな後悔があったのである。

大学ではそのような後悔はしたくない。
大学では何もしないことが失敗なのだ。


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2007.02.21 引きこもり
秋になると私はますます読書や思索に夢中になった。

たくさんの出会いを求めていろんな人と話したり、かかわったりしているうちに疲れが出てきたのだ。コンパに出たりしても、先輩に気を使い、周囲に合わせることに気を使い、自分を失っていった。

多くの人とかかわる以前に「自分」ができていなかったのだ。
楽しいはずの人付き合いがやがてむなしくなり、苦痛になってきた。
サークル活動も好きなことを始めたはずだったのに、次第にどうでもよくなってきた。

なかなか自分が心を開いて話し合える人を見つけることはできなかった。本音で話せないという気持ちが私を息苦しくさせていた。

自分の考え、人生観、価値観そのようなものをきちんと構築しなければ人とかかわるときも正面からかかわることができない。

何が正しくて何が間違っているのかわからない。
自分は将来どんな職業に就いて、どんなことをすればいいのか。

このような疑問にはある程度の答えが必要だった。
司法試験の勉強は続けていたが、法律に答えは書いていない。
もちろん誰も教えてはくれない。

自分で考えよう。書物からたくさんのヒントをもらおう。
心から話し合える友人を持とう。表面だけの付き合いはやめよう。
そう決めた。

入っていたサークル活動を二つともやめた。
2007.02.22 心も冬に。
サークルを二つともやめてしまった私は、ほとんど人と会わなくなった。会うといえば時々連絡をとっていたNとだけ。

特に同じ学部で同じクラスの学生とは授業で時々顔を合わせる程度で、あまり話もしなくなってしまった。

そうなるとますます人と会うのがおっくうになり、どんどん自分の殻の中に閉じこもっていった。大学に入学した頃の新鮮さは全くなくなり、数ヶ月前に感じた前向きな気持ちも消えた。

どうすればいい?

かろうじて図書館などに出向いては本を借りたり、法律や語学の勉強をしたりはしていたが・・・

その頃の私は、周囲の学生たちが馬鹿に見えて仕方がなかった。
とても同じ次元では話せない、分かり合えないと思っていた。
自分は自分の世界を行くのだと。

サークル内での陰口や悪口、うわさ話。先輩の横柄な態度。意味不明な男女関係。

今考えるとそのようなものが私にとってとても醜いものに思えていたのだろう。何かに夢中になるでもなく、勉強するでもなく、努力を放棄したかに見えるだらけた周囲の学生たちから逃れたかった。

心を閉ざして自分を守っていたのかもしれない。
そうしなければ自分を保つ自信がなかったのだろう。


大学をやめようと思った。

このような甘い環境のなかでは本当の自分がつかめないんじゃないかと。そんな気がした。

東京に出て働きながら司法試験の勉強をしようと思ったのはこの頃だ。
もうこの大学からは逃れたかった。入学から一年もたたないのに全てが色あせて見えた。

司法試験は一次試験があって、大学の教養課程の単位を取得していればそれが免除される。そのため一年半の教養課程だけは何とか修了しようと決めた。

さすがに自分だけの独断でそれを実行に移すわけにはいかない。

父に電話した。
父は通常の親であれば常識的にそうするであろうと思われる理屈で私を止めた。せっかく大学に入ったのに、もったいない。
ただ私はこのときこの常識的な言葉に反論するだけの信念も何も持ち合わせてはいなかった。

大学生活は楽だ。
しかし楽であることが幸せであるとは限らない。
退屈と倦怠。

毎日精一杯努力したり、何かに打ち込んだりして得られる充実感こそ幸福の源泉だ。

私にはそれがない。
周囲の人間のせいではない。
自分の中にそれがないのだ、と思った。
こんなに時間が与えられているのにそれが生かせないなんて、全てはそのように過ごしている自分の責任なのだ。

一から自分が望んでいるもの、やるべきことを考える必要性を強く感じたのである。もう一度、やり直そう。



自分が将来どのような職業に就いて、どのような人生を歩むべきなのか。このような問いかけが大学の中ではむなしく響く。

あたかも誰もそんなことを考えていないかのように、当時の大学生たちは遊び狂っていた。

大学1年次が終わる頃から私は猛烈に本を読み始めた。

アパートも家賃の安いところに引越しすることにした。生活のための経費を削り、できるだけ大量の本を読もうと思ったからだ。

親友のNと相談して安くて大学から近い住処を探した。もし部屋が空いていれば部屋は別にしてNと同じアパートに住もうと決めた。

探し始めたのが早かったせいかそのような部屋はすぐ見つかった。

家賃六千円。
三畳一間。
トイレ、水道は共有。

ここで生活し、自分作りに没頭する。
自分がこの大学を出るときには決して後悔しない過ごし方をする。
絶対に何かをつかむ。

自分がこの世に生まれてきた役割や意味、使命みたいなものを。

大学二年次のこの一年間が私の人生のほとんどを決めたといってもいいくらいに、本当に貴重な一年だった。

この鬱な時期、自分と向き合っていた地味で何の変哲もない時間から私の大学生活は大きな変化をみせる。




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自分の考えていることを毎日日記に書き始めたのもこの頃だ。

自分の心の動きや感情の動きを素直に書いてみると、自分というものがよくわかる。

自問自答の日々。

私は机というよりコタツの台で勉強や読書をしていたのだが、この頃は布団を敷いて寝たことがなかった。

部屋が狭かったせいもあり、コタツの台を置くと布団がしけない。
勉強や読書に疲れたらそのまま後ろに倒れて寝てはまたおきて勉強する。そんな毎日だった。

他人と話をすることもほとんどなく、完全に籠もってしまった。

「職業」について考えた。
自分に何ができるのか、何に向いているのかそんなことはわからない。
当然だ。まだ働いたことがない。

私はあまりこの時期はアルバイトをしていなかった。

中途半端な自立を恐れたのである。
そう、アルバイトでお金をもらって、ちょっと社会人の気分を味わう。
無責任なままに中途半端な自立をする。

私はそれよりも「学生に撤しよう」としていた。

今でなければできないことを、今やる。
そして、学生を卒業したらきちんと自立する。

今は親の援助なしでは学生でいられないからこそ、その親の投資を最大限に活用する道を選ぶんだ。

学生が終わったら一切親の援助は受けない。

そのための職業を私は模索した。

就職について考えた。

私の当事の選択肢としては2つの選択肢が考えられた。
ひとつは、ほとんどの大学生がそうしているように民間企業に就職すること。
もうひとつは、アルバイトをしながら司法試験に合格し法律家になること。

周りの同級生達はなぜか公務員希望者が多く、私の大学時代の同級生の多くはは国家公務員、地方公務員になった。

職業を考える上で重要なのは、その職業で働いている自分をイメージできるかということ。このイメージが湧いてこないのならば、その職業にはつかないほうがいいのかもしれない。

私のイメージはやはり何かを学び、その知識を生かして仕事をするというイメージだった。その意味では司法試験に合格して、法律家になるほうがまだ自己イメージには近かっただろう。


しかし、何度も何度も図書館に通い、法律書や判例集を読んでいた私は、この作業や勉強が必ず将来の職業に繋がることは確信できたのに、試験に合格する気がしなかった。

これが不思議なところで、現実にそのとおりになった。
人間の想いは実現する。いい意味でも、悪い意味でも。

人間は自分のイメージしたとおりの人生を生きる。

このような言葉はずっと後になって知った言葉なのだが、自分の学生時代を振りかえるとまさしくこの言葉通りになっているのである。


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