2007.07.01 記念受験
自分としてはそれなりに勉強したつもりだったが、試験を受けてみると準備不足は明らかだった。

司法試験の会場は限られていて、会場のある別の県まで移動しなければならなかった。

ホテルをとり、宿泊して受験をするのである。
私以外にも数名の友人が受験したが、全くの記念受験で、だれも手ごたえのあった者はいなかった。

試験が終わってから、みんなで飲みに行き、カラオケをうたった。

結果は明らかで、全く勝負にならなかった。

やはり東京に出て、本格的に勉強しなければ、という思いが強くなった。とにかく東京に出ようと、そう思った。

私の両親は寛容で、私の就職に関しては一切何もいわなかった。

私が次男だったこともあり、どうにかなると思っていたのかもしれない。

こうして司法試験の初回の受験は惨敗。

しばらくは法律の勉強の手を休めて、ゼミの研究に没頭した。



司法試験の勉強は私にとってとてもいい経験になった。

私はもともとかなり気が多く、飽きっぽい性格だ。

ひとつの物事に集中するより、いろんなことに目が行ってしまい分散していく。

司法試験一本に絞れず、色んな分野の本を読むことに時間を使ってしまう。そんな感じで、一気に物事を達成することが苦手だった。

本を読むにしても同時並行で何冊もの本を同時読みする。

このような性格はなかなか直らないもので、当時も今もあまり変わってはいないかもしれない。

ただ、必要な時期にやるべきことを一本に絞り、そこに全力を投入していくという経験は学生時代には必要だと思う。

そうしてこそ初めて自分の限界や壁にぶち当たり、成長する機会を与えられるものだ。

私は司法試験に全力で向かっては行かなかった。

合格はできてもまだ先のことだと思っていたし、難しい試験なのだから何年もかけるのが当たり前だと思っていた。

それがいけなかった。

私の持っていた分散型の行動様式は自分の世界を広げて、様々な異質の経験や勉強をすることを可能にはしたが、やるべきことを一点に絞り込んで全力を投入していく集中型の行動の妨げになった。

学生時代にはできればこの分散型と集中型の双方を身につけることができれば理想的だろう。

この二つの方向性をバランスよく取り入れることで誰しも偏りのない無限の成長が約束される。

このように考えることができるようになったのは学生時代から10年ほど後のことである。




『最速短期合格に導く資格試験7つの勉強法』





勉強や就職の話は、少し置いておこう。

この年は私が最も力を入れていた「ショパンの会」にたくさんの新入生が入部してくれた。

私の大学最後の年に、たくさんの新入生と交流できたことは非常に大きな価値があった。

多くの4年生は、サークル活動からは離れてしまい、あまりかかわらなくなる場合も多い。

やはり就職や卒業に向けてやるべきことが増えてくるからだ。

私はそのことについてはあまり心配せずに中心となってサークル活動に関わった。

部員が増えてきたために、部室が必要となったが、できたばかりのサークルには部室などなかった。

私たちは部員が集まれる場所として、安くで借りることができる大学外の部屋を探し、そこを部室にしようと考えた。

大学から近く家賃の安い部屋。

ちょうど私が住んでいたアパートの1階に空き部屋があった。

7畳ほどの広さで家賃は一万円。部員は今年の新入生のおかげで20人以上はいたから、1人500円も出せば借りることができる。

大家さんに相談して、あっさりと話がついた。

この部屋のおかげで、このサークルのメンバーは非常に深い交流が可能になり、様々なドラマが生まれた。

週末になるとこの部屋に集まり、飲みながら朝方まで語り合った。

今でもその頃のことを鮮明に思い出すことができる。
「ショパンの会」のこの年の入部者は非常に多かった。

みんな素直で自分の人生を真剣に考えることのできる学生だった。

ピアノのサークルだったから女の子が多かったが、男子もそれなりの数入部してくれたのでバランスはよかった。

新入生の中に控えめで大人しい感じのする子がいた。

最初は名前すら憶えられないほど存在感が薄い子だった。

私はむしろこの目立たない女の子が妙に気になった。というのもどこか他の新入生とは趣が違ったからである。

例の部室でみんなで集まり、ある週末コンパを開いた。

色んなものを持ち寄って宴会をやるわけであるが、なにせお金がかからなくていい。

しかも学内に部室があるわけではないから時間を気にする必要が全くない。この日も延々としゃべり続け、ばらばらと帰るメンバーが出てきてもまだ残って話し続けた。

最後は3,4名になったが、結局朝までしゃべり続け、明るくなったときにはみんなぐったりとして半分眠りこけていた。

この残ったメンバーの中に例の「彼女」がいた。

この日長時間話せたことで私の読んでいる本や考え方に共感できる子であることがわかった。

私は当時でも、もう最近の大学生はこんな本は読まない、といわれそうな本を読んでいたし、かなり哲学的にものを考える癖があった。

「彼女」はそんな話を興味をもって聞いてくれるのである。

彼女だけでなくこのときの後輩達はみんなそんな感じだった。

私の人生観が飛躍的に明確になったのはこの後輩達のおかげだ。


表現し伝えることで自分の考えがまとまっていく。
私は彼らのおかげでそんな経験をした。
私は「法社会学」というゼミ員が私1人しかいない寂しいゼミに所属していた。

これでは同級生の仲間もあまりできない。

そう思って「法哲学」のゼミに特例で入れてもらえないか、と教授に相談した。

教授は「法哲学」の先生がOKなら大丈夫だといわれた。

私は思い切って法哲学の研究室を訪ねた。

法哲学担当の先生は「勉強したかったら参加しても全くかまわない」とのことだった。

これで少しは同級生の仲間もできるし、人間関係が広がるだろうと期待した。法哲学のゼミの日がやってきた。

研究室に行くと女の子が1人座っていた。

悲しいことに法哲学のゼミもゼミ員が1人だったのだ。

愕然・・・この女の子は他のゼミの所属である私が、わざわざ別のゼミにまで勉強しに来ているなんてすごい、と何度も言っていた。

私は返す言葉がなかった。この子1人か・・・

この時代、哲学や社会学などという実社会で役に立つかもわからない科目に興味をもつ人間がいかに少なかったかを物語る話だ。

私は自分が一般的に大学においては少数派であることを今さらながらに実感した。

こうして私は前例のない形で、二つのゼミに所属して勉強することになった。