私は友人の下宿先に泊めてもらい、そこで教授からの連絡を待った。

教授と会うことになっていた前々日、私は友人と夜遅くまで語り合っていたので翌日は二人で昼近くまで寝ていた。

そこに教授から電話が入った。

「明日の三時に新宿の駅ビルにある喫茶店で待っていなさい」

私は東京が初めてだったので、新宿がどこにあるのかもよくわからなかった。友人に詳しく教えてもらい、当日新宿に向かった。

東京の人の多さに驚いた。

待ち合わせの場所にたどり着くのも一苦労だったが、かなり早い時間に新宿にはたどり着けたのでぐるぐる廻って教授の指定した喫茶店を見つけた。

教授は当然に私の顔を知らない。

私が先に見つけて声をかけなければ。

いつもテレビでしか見たことがなく、書籍を通じてしか知らない著者に二人で会うことができるなんて夢のようだった。

人生には不思議な展開があるものだと思った。

私は二時半には喫茶店に入り、教授の到着を待った。

約束時間から数分遅れて、テレビで見慣れた教授が姿を見せた。
教授の姿が見えると私はあわてて席を立った。

それに気づいた教授はすぐに私の席の前に座り、あわただしく飲み物を注文した。

テレビで見るよりも年老いて見えた。

教授は唐突に「大学院では何をやりたいと思っているのか」と尋ねてきた。

私は自分の関心の赴くところを述べたのだが、教授はしきりに「大学院では重箱の隅をつつくような研究をしなければだめだ」と言われた。

教授の心配とはこうだった。

教授自信がマスコミで名が知れていて、しかも一般向けの本も書いているために面白がって近づいてくる輩がいる。学部の学生もそうで、大学院の希望者もそのような人間が多くいること。

アカデミズムの世界で生き残っていくためには、小さな狭い範囲の研究をコツコツ積み上げていかなければ学位も取れないし、ましてや大学の教員になることは難しいこと。

このような危惧を抱かれているようだった。

私は確かにこの教授の学際的で様々な分野を飛び越えたような大きな視野の学問に惹かれていたので、この教授の指摘は当たっていたと思う。

しかし私はこの段階で、教授の言わんとしていたことが十分に理解できていなかったと思う。

私は「がんばってやってみます」と答えるのが精一杯だった。

このような大学院での学問的なことや、自分が有名であるがゆえに巻き起こる様々な問題について教授は話しをされた。

私の中には、マスコミの世界でも活躍されている教授の近くにいることで色々な面白い世界を見ることができるのではないか、という期待があったことは否定できない。

教授は「有名人だからという理由で私に近づいてくるな」と言いたかったにちがいない。

2007.10.06 東京
教授は一時間ほど話をすると、夕方から打ち合わせがあるからということで場所を移動された。

「今度本を出す予定の共同執筆者との打ち合わせがあるから君もちょっとついてきなさい。」

私は思いがけない教授の誘いに驚いた。

教授はわざわざ遠くから東京に出てきた私を、一時間の話で帰してしまうのはかわいそうだと思われたのかもしれない。

新宿からはタクシーで移動。東京の風景はどこを見ても新鮮で、大学を卒業したら必ず上京しようと心に決めた。

教授の打ち合わせの場所は、地下鉄の駅の近くの静かなバーだった。

教授と私がその店に入ると、すでに共著を書くことになっている学者の方が待っていた。

教授は私を「今度大学院に進学する予定の学生で今日九州から出てきたんだ」といってその人に紹介された。

教授はさすがに私の前ではその学者さんと執筆内容の話はせずに、しばらく雑談をされていた。

私は飲み物を一杯だけ飲んだら、帰るつもりだった。
仕事の邪魔はしたくなかったし、このような場所にあえて私をつれてきてくれた教授の心遣いが本当によくわかったからだ。

もっと長時間そこにいてそこでの話を聞いていたかったが、外が暗くなり始めた頃に教授にお礼をいってその店を後にした。

地下鉄に乗って、どうにかこうにか友人のうちにたどり着いた。

今後の自分の人生について色んなことを考えた。
今後自分の人生はどのような方向に流れていこうとしているのか。

ただ、今度の春には自分は確実にこの東京に住んでいることだろう。

どのような形であれ、それだけは確かなことのように思われた。

2007.10.08 冬が来た
九州に帰った私は、大学院入試に向けてさらに勉強を続けた。

東京であと二年(修士課程)の学生生活を続けることが両親に負担をかけてしまうことは明白だった。

父親は何も言わずにその進路をとることを許してくれた。

私は奨学金とアルバイトだけで生活費を賄うつもりでいた。東京だから時給の高いアルバイトもきっとあるだろう。

卒業が近づいてきても、今いる大学にはあまり未練はなく、次に自分を待ち受ける未来のことばかりを考えた。

あれほど好きだった彼女のことも恋愛感情は薄れてきていた。ただなんでも話せる貴重な存在である彼女がいなくなる生活というのもイメージできなかった。

大学時代の四年間は自分にとっては長すぎたかもしれないが、貴重な四年間であったことは確かなことだ。

少しも無駄がなかった。たくさんのサークル活動に取り組み、たくさん勉強した。人間関係も普通の大学生よりもはるかに多くの人と関わり、そこから色んなことを学ぶことができた。

季節が秋を過ぎ、私は大学での最後の冬休みを迎えた。

実家に帰って、両親に今後の展望を語ったが、実際に自分が学者として世に出ることができるとは思えなかった。

就職を先延ばしにすることになるだけなのか、それとも大学院に行っただけの価値ある未来を開くことができるのか。

全ては数ヵ月後に始まる東京での生活にかかっている。

あと3ヶ月もすれば大学を卒業するという時期になった。

ショパンの会では4年生のために卒業コンサートを開くことになった。

とはいっても卒業するメンバーは私を含めて5人程。

私とNはショパンの会に所属していながら、ほとんどまともにピアノを弾くことができるようにはならず、結局ギターを弾いてコンサートをやった。

ピアノのサークルなのに後輩達はよく付き合ってくれたものだ。

私はNと二人でギターを弾き、好きな歌をたくさん歌った。

大学のホールを借り切ってマイクなどの機材も後輩達が準備してくれた。そのときの写真を見ると今でもその頃の空気や後輩達の表情が私の心の中によみがえる。

準備の中心になった後輩の1人が「このコンサートは先輩たちのやりたいようにやってもらおう」と言っていたのを思い出す。

何の遠慮もなく自分をさらけ出せた素晴らしい後輩達や仲間たち。
このような出会いは大学時代以外にはなかなかないだろう。

このコンサートを最後に、4年生はサークルから引退した。