2008.01.07 東京への空
ついに飛行機に乗り込んだ。

飛行機に乗り込む直前に、彼女は私に手紙を渡した。

見送りに来てくれた数名の後輩達は空港の屋上に上がって飛行機に向かって必死に手を振っている。

それが飛行機の窓からでもよく見えた。

それを見ている間もなく、飛行機はすぐに滑走路を走り出し、あっさりと離陸した。

あまりにもあっけなく、彼らの姿も見えなくなった。

東京ではまだ住む場所さえも決めていない。とりあえずは友人の部屋に転がり込むつもりだ。

新しい生活に対して急に不安を覚えた。

そうだ。彼女からの手紙。

見慣れた文字で書かれたその手紙を開いた。

私に対する感謝の言葉が一杯につまった手紙を読んでいたら、涙が止まらなくなった。

またいつか会えるだろうか。

そして、彼女との出会いと同じような素晴らしい出会いが、東京でも待ち受けているのだろうか。

夕日が飛行機の窓から差し込んできた。

長いようで短かった、そして短いようで長かった大学生活。

それもこの一日で終わりを告げる。





2008.01.12 第一歩
東京に着くとすぐに友人の部屋を訪ねた。

私の荷物がその部屋には届いているはずだった。

友人は夜遅くまでアルバイトをしていて部屋にはおらず、私は部屋の鍵の暗証番号を彼に聞いて、彼の住むワンルームマンションに入った。

自分で部屋を探すまではここが一時的な住処になる。

東京に到着したその日は、帰宅の遅い友人の帰りを待った。

狭いマンションの一室で本を広げながら友人の帰りを待っていると、急に孤独感が湧いてきた。

これまではいつも大勢の友人や後輩達が自分の周りにいた。

これからはまた新たな人間関係を作っていくことになるが、東京に友人がいたことは私にとって本当に幸いだった。

この部屋の住人である私の友人は、私の高校時代の友人で、東京の大学に進学するも中退し、今はフリーターとして色々なアルバイトをやっていた。

それでも収入は低いわけではなく、それなりの贅沢もしているようだった.

その日は夜遅くまで友人から東京についての話を聞いた。
これから何年過ごすことになるかはわからなかったが、当面2年間は学生として過ごすことになる。

その意味で私はまだ甘えた身分だった。



翌日からすぐにアルバイト探しを始めなければならなかった。

授業料は親が負担してくれることになっていた。それ以外の生活費などは奨学金を借りることとアルバイトの収入で賄うことにした。

東京でいかにお金をかけずに生活していくか、ということが私にとっては大切な修行だった。

大学の近くでアルバイト先を探すか、友人のマンションのそばで探すかについては迷ったのだが、当面週末をアルバイトの時間に当てることにしたので、友人のマンションのそばで探すことにした。

飲食店でのアルバイトなどの張り紙がたくさん見られたがなかなか時間が合わない。

週末だけのアルバイトがなかなか見つからなかった。

友人もアルバイト生活をしていたのだが、ある日曜日友人がアルバイトをすっぽかしてしまう事件が起きた。

友人はその日は前日から外出して戻っておらず、マンションには私だけがいた。

そこにアルバイト先の男性が訪ねてきたのである。

朝から引越しの仕事が入っていたらしく、その男性は友人を迎えにきたのだ。

私が友人が不在であることを告げると、かなり困った表情でマンションの玄関あたりをうろうろしていた。私は理由がわかるわけもなく、そのまま部屋に残っていた。

しばらくするとまたマンションの部屋までやってきて友人に伝言を頼んだことで私はようやく理由が飲み込めたのである。

やむをえず私が友人のかわりにアルバイトに行くことになり、これがきっかけで私はこのアルバイトをはじめることになった。

週末だけでも働かせてもらえるということだったし、アルバイト代も決して安くはなかった。

こうして都合のいいアルバイトが見つかり、結局私はこのアルバイトを長く続けることになった。

2008.01.21 大学院
友人のマンションから私が通う大学は電車で1時間40分ほどの時間がかかった。

この場所から大学に通うにはかなりの時間と労力が必要だ。

できるだけ早い時期にお金を貯めて、大学に近いところに引っ越そうと考えた。

それまでは不便ながら、アルバイトでお金を稼ぎ、大学に通うことにした。

大学院の授業は実際にはほとんど拘束されることがなく、自分で研究テーマを決めて論文の作成を行わなければならないということだった。

自分の研究テーマを指導教授と相談し、それに基づいて修士論文を作成しなければならない。また語学に関しては英語とフランス語に関してかなりの力が要求された。

当時はオーバードクターなどといって博士号を取得しても大学に就職先がなく、何年も大学に在留し続ける学生が決して少なくはなかった。

かなりの実力がないと大学の先生になることは無理なのである。

私にとっては何年も大学に居続ける、そのようなことは許されない。

この二年間で自分なりの将来への結論を出さなければならない。

なかなかハードな二年間になりそうだ。そんな気がした。

ただ大学院では非常に親切で優秀な学生が多く、人間関係には非常に恵まれたと思う。
田舎から出てきた私に周囲の人々はとても親切だった。

教授の授業も非常に興味深いもので、私の知的好奇心をいつも刺激してくれた。

おかげで私の視野は本当に大きく広がったと思う。



大学院に入学して早々、同じゼミの女の子からアルバイトをしないかという誘いを受けた。

大学の近くにある出版社での校正のアルバイトで、授業の合間にでもできるということだった。その出版社は法律関係の大手の出版社で、六法全書を出版しているところだったのだが、その六法の校正作業が仕事の内容だった。

田舎にいたころはその出版社から出ている六法を使って勉強をしていたものだが、自分がそれを校正する仕事をするなどということは想像もしていなかった。

東京という場所の不思議さを感じた。

アルバイト代は結構な金額で、私は非常に助かったものだ。自分の勉強にもなったし、一石二鳥だったのである。

好きな時簡に来て作業をやっていけばよかったので、時間的にも非常に助かった。

そのアルバイトは六法全書の出版がなされる時期までで終わりとなったが、また必要なときには声をかけてもらえることになりいい縁ができた。

私にアルバイトを紹介してくれた女の子は非常に行動的で、私に色んな場所や情報を教えてくれた。

東京での人間関係は彼女の紹介や縁でどんどん広がっていった。

私はどこに行っても不思議と自分より行動力のある人間がいつも近くにいて、自分の行動半径や出会いの領域が大きく広がることが多い。

私自身はどちらかと言えば行動的というよりは思索的で、考え事をするほうが好きな人間である。ただそれに現実的な裏づけを与えるように、いつも友人が私をいろんなところに引っ張っていってくれたのである。

自分と対極にある友人を持つことは、自分の人生の幅を大きく広げるものだ。