2008.03.09
今はなき街に
昼間は日雇い労働者と生活を供にした。
彼らには将来への希望などはなく、毎日の日銭を稼ぎ、消費するという生活があるだけだった。
なぜこんな生活をする羽目になったのか、実は些細なことがきっかけでそうなった人が多かった。
誰でもこんな生活をする可能性があるのだ。
世間では景気が悪いわけではなかった。私の学生時代はまだ非常な好景気が続いていて、若い学生の就職は決して困難ではなかった。
しかし、こんな生活をしている人がまだ日本にはたくさんいたのである。
夜には友人のNと近くの商店街に出かけた。
寂れた喫茶店に入ってお互いの近況を報告しあった。
店をそろそろ出ようとしていたとき、突然店内で怒鳴り声が響いた。
こともあろうに店員と客が喧嘩している。なんと言う世界だ。
東京の店では全く見たことがなかった光景に唖然とした。
Nによるとこのようなことはしょっちゅうで、何かあっても気に入らない客には店員は決しておもねらないという。激しい口論と罵声を後にして私たちは店を出た。
この街の空気が何となく殺気立っていた。
Nと別れ、再び日雇い労働者の住む場所に戻ったときには、ほとんどの労働者は深い眠りについていた。彼らにはお互いに交流するということもほとんどないようだ。
みんなが自分の殻に閉じこもり、日々生活し、将来の希望もないままに暮らしていた。
私は結局20日くらいこの場所にとどまった。しかしこの場所を訪れたのは最初で最後だった。
この街はその後、阪神大震災で跡形もなく消えてしまったのである。
この頃毎日日雇いで生活していた彼らはどうなってしまったのだろう。
今でも彼らの生活ぶりや暮らしぶりは頭に焼き付いて離れることがない。
彼らには将来への希望などはなく、毎日の日銭を稼ぎ、消費するという生活があるだけだった。
なぜこんな生活をする羽目になったのか、実は些細なことがきっかけでそうなった人が多かった。
誰でもこんな生活をする可能性があるのだ。
世間では景気が悪いわけではなかった。私の学生時代はまだ非常な好景気が続いていて、若い学生の就職は決して困難ではなかった。
しかし、こんな生活をしている人がまだ日本にはたくさんいたのである。
夜には友人のNと近くの商店街に出かけた。
寂れた喫茶店に入ってお互いの近況を報告しあった。
店をそろそろ出ようとしていたとき、突然店内で怒鳴り声が響いた。
こともあろうに店員と客が喧嘩している。なんと言う世界だ。
東京の店では全く見たことがなかった光景に唖然とした。
Nによるとこのようなことはしょっちゅうで、何かあっても気に入らない客には店員は決しておもねらないという。激しい口論と罵声を後にして私たちは店を出た。
この街の空気が何となく殺気立っていた。
Nと別れ、再び日雇い労働者の住む場所に戻ったときには、ほとんどの労働者は深い眠りについていた。彼らにはお互いに交流するということもほとんどないようだ。
みんなが自分の殻に閉じこもり、日々生活し、将来の希望もないままに暮らしていた。
私は結局20日くらいこの場所にとどまった。しかしこの場所を訪れたのは最初で最後だった。
この街はその後、阪神大震災で跡形もなく消えてしまったのである。
この頃毎日日雇いで生活していた彼らはどうなってしまったのだろう。
今でも彼らの生活ぶりや暮らしぶりは頭に焼き付いて離れることがない。
2008.03.20
自分の人生について
学生時代、私は十分に幸せだった。
神戸を後にした私は東京に戻った。自分の幸せ、家族や身の回りの人々の幸せ、そしてこの国の、世界の人々の幸せ。
自分が大学院を出た後、何をすべきなのかを真剣に考えた。
この頃すでに私は、自分のやるべきことがやはり大学に閉じこもっての研究活動ではないのではないかという気がしていた。
もっとアクティブに社会に働きかけていける仕事、自分が学んだことを多くの人と分かち合い、多くの人々の幸せに貢献できる仕事。
それは一体なんだろうか。
もっと色んな世界の人々と出会い、多くの世界をのぞいてみる必要があった。
私は書物から多くの事を学んだし、自分の身の回りの人々の話はたくさん聞いてきた。
しかし、もっと世界は広い。まだまだ出会ったことのない人は無数にいるのだ。
何かきっかけがあったら全く躊躇なくその世界へ飛び込んでみよう。
そう考えるようになっていた。
神戸での経験は私を書物の世界から現実の世界へ引き戻した。
この現実の中で、自分の本当の天職を見つけること。
それが私の残された学生生活に課された課題であった。
あと一年ほどで答えが出せるだろうか。
神戸を後にした私は東京に戻った。自分の幸せ、家族や身の回りの人々の幸せ、そしてこの国の、世界の人々の幸せ。
自分が大学院を出た後、何をすべきなのかを真剣に考えた。
この頃すでに私は、自分のやるべきことがやはり大学に閉じこもっての研究活動ではないのではないかという気がしていた。
もっとアクティブに社会に働きかけていける仕事、自分が学んだことを多くの人と分かち合い、多くの人々の幸せに貢献できる仕事。
それは一体なんだろうか。
もっと色んな世界の人々と出会い、多くの世界をのぞいてみる必要があった。
私は書物から多くの事を学んだし、自分の身の回りの人々の話はたくさん聞いてきた。
しかし、もっと世界は広い。まだまだ出会ったことのない人は無数にいるのだ。
何かきっかけがあったら全く躊躇なくその世界へ飛び込んでみよう。
そう考えるようになっていた。
神戸での経験は私を書物の世界から現実の世界へ引き戻した。
この現実の中で、自分の本当の天職を見つけること。
それが私の残された学生生活に課された課題であった。
あと一年ほどで答えが出せるだろうか。
2008.03.23
政治の世界
秋になった。
私の狭い部屋に大学院の聴講生だった人が遊びにきた。
夏休みの間、海外をまわっていたという。そこで見聞してきた話をたくさん聞かせてもらった。
彼は京都の出身で、大学を出てから上京してきた。そこで今の大学の先生の学問や思想に惹かれて勉強を続けていた。
ただ学生の身分だったわけではなく、社会人のような、よく分からない雰囲気をもった人だ。
一通りの話が終わった後に、彼が「せっかく東京にいるんだから政治の中枢を見てみたいと思いませんか」と私に言った。
私はあまりこだわりなく色んなものに興味があったので、どんな話か聞きたかった。
彼は当時の政権政党の学生部に所属していて、色んな活動をしていて、そこでの話をし始めた。
私をそこに参加させたいということで私のところに直談判しにきたのだ。
基本的に学業の妨げになるわけでもなく、重い義務があったわけでもなかったので、私は彼と共にその世界をのぞいてみることに決めた。
当時はすでに学生は政治的には無関心になっていて、学生で政治の世界に首を突っ込むなどということは少し変わった奴というレッテルをはられかねない風潮だった。
私自身はその政党を支持していたわけではなかったのだが(それは彼も同じだった)、政治の世界を垣間見るチャンスであることは確かなことだ。
それからは本当に貴重な経験をした。
色んな人物に出会うことができた。
テレビでしか見たことのなかった政治家の方にこんなにも身近に接することのできる機会があるとは思いもよらなかった。
東京では自分さえその気になれば、どんな人にも会うことができるのである。
私の学生生活は俄然忙しくなってきた。
自分が出会う全てのものから、あらゆることを学び尽くす。
どんなことにも偏見をもたずにやってみる。
とにかく行動してみる、行動しながら考える。
私の中でいつも考えていた理論的な思想世界と生身の人間の生きる現実世界が様々な形で交錯し私の人生に新しい道を開きつつあった。
私は政治家を志したことはないが、広く社会に目を向けて、自分が学び考えてきたことを現実社会でいかに具体化し実現していくか、という大切な視点を得た。
政治の世界はそれを私に教えてくれたのである。
私の狭い部屋に大学院の聴講生だった人が遊びにきた。
夏休みの間、海外をまわっていたという。そこで見聞してきた話をたくさん聞かせてもらった。
彼は京都の出身で、大学を出てから上京してきた。そこで今の大学の先生の学問や思想に惹かれて勉強を続けていた。
ただ学生の身分だったわけではなく、社会人のような、よく分からない雰囲気をもった人だ。
一通りの話が終わった後に、彼が「せっかく東京にいるんだから政治の中枢を見てみたいと思いませんか」と私に言った。
私はあまりこだわりなく色んなものに興味があったので、どんな話か聞きたかった。
彼は当時の政権政党の学生部に所属していて、色んな活動をしていて、そこでの話をし始めた。
私をそこに参加させたいということで私のところに直談判しにきたのだ。
基本的に学業の妨げになるわけでもなく、重い義務があったわけでもなかったので、私は彼と共にその世界をのぞいてみることに決めた。
当時はすでに学生は政治的には無関心になっていて、学生で政治の世界に首を突っ込むなどということは少し変わった奴というレッテルをはられかねない風潮だった。
私自身はその政党を支持していたわけではなかったのだが(それは彼も同じだった)、政治の世界を垣間見るチャンスであることは確かなことだ。
それからは本当に貴重な経験をした。
色んな人物に出会うことができた。
テレビでしか見たことのなかった政治家の方にこんなにも身近に接することのできる機会があるとは思いもよらなかった。
東京では自分さえその気になれば、どんな人にも会うことができるのである。
私の学生生活は俄然忙しくなってきた。
自分が出会う全てのものから、あらゆることを学び尽くす。
どんなことにも偏見をもたずにやってみる。
とにかく行動してみる、行動しながら考える。
私の中でいつも考えていた理論的な思想世界と生身の人間の生きる現実世界が様々な形で交錯し私の人生に新しい道を開きつつあった。
私は政治家を志したことはないが、広く社会に目を向けて、自分が学び考えてきたことを現実社会でいかに具体化し実現していくか、という大切な視点を得た。
政治の世界はそれを私に教えてくれたのである。
2008.03.23
マスコミに勝てる力を
政治の中心である永田町に足を運ぶことが多くなったことで、私はこの国の本当の権力者が誰なのか、わかった気がした。
学生部の活動は非常に様々なものがあり、全てを述べることは難しいが、ちょうど消費税が導入されようとしている時期、大きく政治が動いた場面に出くわすことができた。
政党内部でも様々な議論がなされたり、市議会議員から国会議員まで数多くの政治家の方と接する機会を得て、マスコミの流す情報が非常に感情的で一方的なものであることに気づいた。
マスコミの報道で時の首相の首が飛ぶ。政権が揺らぐ。社会が混乱する。
この国の第一権力はマスコミではないか。しかもそれは決して良心的とはいえない。
政治家の多くは(もちろん例外はある)、実際に国のことを考え、社会全体のことを考えて政治活動をしていた。その気持ちは随所に感じられた。みんな真剣だった。
それが選挙民に正しく伝わることはない。
そう考えると、多くの国民がマスコミに騙されているとさえいえるだろう(もちろん良識あるマスコミも存在する)。
私はこの時期に、マスコミの表層に流れる情報の裏や、本当の真実を見極めるためには自分が努力して知識や情報を選別判断する力が必要であるということを学んだ。
そうしなければ一時的、感情的な情報に流されて自分の人生の判断さえも誤りかねない。
マスコミに勝つ力を身につけることも私の課題になった。
その後20年近い歳月が流れているが、状況は当時と全く変わっていないようで、国民の多くはマスコミの作り出す世界の中で、真実をつかみあぐねている。
学生時代にマスコミの作り出す虚像を壊す力を身につけることは非常に大切なことだろう。
学生部の活動は非常に様々なものがあり、全てを述べることは難しいが、ちょうど消費税が導入されようとしている時期、大きく政治が動いた場面に出くわすことができた。
政党内部でも様々な議論がなされたり、市議会議員から国会議員まで数多くの政治家の方と接する機会を得て、マスコミの流す情報が非常に感情的で一方的なものであることに気づいた。
マスコミの報道で時の首相の首が飛ぶ。政権が揺らぐ。社会が混乱する。
この国の第一権力はマスコミではないか。しかもそれは決して良心的とはいえない。
政治家の多くは(もちろん例外はある)、実際に国のことを考え、社会全体のことを考えて政治活動をしていた。その気持ちは随所に感じられた。みんな真剣だった。
それが選挙民に正しく伝わることはない。
そう考えると、多くの国民がマスコミに騙されているとさえいえるだろう(もちろん良識あるマスコミも存在する)。
私はこの時期に、マスコミの表層に流れる情報の裏や、本当の真実を見極めるためには自分が努力して知識や情報を選別判断する力が必要であるということを学んだ。
そうしなければ一時的、感情的な情報に流されて自分の人生の判断さえも誤りかねない。
マスコミに勝つ力を身につけることも私の課題になった。
その後20年近い歳月が流れているが、状況は当時と全く変わっていないようで、国民の多くはマスコミの作り出す世界の中で、真実をつかみあぐねている。
学生時代にマスコミの作り出す虚像を壊す力を身につけることは非常に大切なことだろう。
2008.03.25
彼女からの電話
東京に出て毎日を忙しく過ごしていた私に、大学時代好きだった後輩から電話がかかってきた。
実は卒業後も時々手紙で近況を報告しあってはいた。しかし電話は初めてだ。
彼女はまだ大学生で大学時代に一緒だったサークル活動も続けていた。
ただ周囲に自分の将来や考えている問題を相談できる人間がおらず、私に相談してきたのだった。
当時はメールや携帯電話もなかったから遠距離の通信も容易ではなかった。
彼女の話を聞いているうちに私の心の中にはある種の不安が芽生えた。
「その人を一人でも生きていけるような人にしてあげることが愛である」
彼女が自分の抱える問題を自分で解決していけるようになってほしいと思って、学生時代にたくさんのことを話してきた。自分の学んだ全てを彼女にぶつけた。私がいなくてもきっと様々な悩みを解決できるようになって欲しいと思った。
しかし実際はなかなか彼女のことを理解する人間が周囲におらず、彼女の心にはポッカリと穴が開いてしまっていた。
電話の様子から彼女の心情が急速に私のほうに揺れ動いているのがわかった。
しかし、この距離はどうしようもない。
日常的に彼女にしてあげられることは何もない。
なんともいえない無力感に打たれて私は受話器を置いた。
この環境の中で、一体彼女に何をしてあげられるだろう。
実は卒業後も時々手紙で近況を報告しあってはいた。しかし電話は初めてだ。
彼女はまだ大学生で大学時代に一緒だったサークル活動も続けていた。
ただ周囲に自分の将来や考えている問題を相談できる人間がおらず、私に相談してきたのだった。
当時はメールや携帯電話もなかったから遠距離の通信も容易ではなかった。
彼女の話を聞いているうちに私の心の中にはある種の不安が芽生えた。
「その人を一人でも生きていけるような人にしてあげることが愛である」
彼女が自分の抱える問題を自分で解決していけるようになってほしいと思って、学生時代にたくさんのことを話してきた。自分の学んだ全てを彼女にぶつけた。私がいなくてもきっと様々な悩みを解決できるようになって欲しいと思った。
しかし実際はなかなか彼女のことを理解する人間が周囲におらず、彼女の心にはポッカリと穴が開いてしまっていた。
電話の様子から彼女の心情が急速に私のほうに揺れ動いているのがわかった。
しかし、この距離はどうしようもない。
日常的に彼女にしてあげられることは何もない。
なんともいえない無力感に打たれて私は受話器を置いた。
この環境の中で、一体彼女に何をしてあげられるだろう。









