大学が大衆化して目的を喪失した学生が増えていくと、努力するという文化が大学から失われていく。周囲を見渡せば無目的に遊び暮らす友人たちを多く見ることになる。

そんな中で一人将来に向けて努力していくことは、時として孤独を感じることがある。

怠惰に流れ、自由を乗りこなすことのできない学生の群れの中を、一人未来を信じて努力の生活を続けることは孤独な戦いでもあろう。

周囲に流されて時を無駄にするか。

努力を重ねて未来への道を開くか。

学生にとってはどちらの選択も可能である。

しかし、孤独になることを恐れていては自分にとって最も大切なものを失うことになるだろう。

自分の人生は自分の人生。

どんなに親しい仲であっても、どんなに分かり合っているようであっても、誰ともその人生を代替することなどできない。

かけがえのない自分だけの固有の人生をいかに生きるか。

そこには必ず孤独はつきまとうものなのである。だから、まずそのことを受け入れなければならない。

それを受け入れて初めて、自分の方向が定まってくる。

周囲に迎合し流される生活を続けても、一時の間孤独から開放され、つかの間の楽しさを享受することはできようが、自ら主体的に自分の人生を創造していく機会を失っていくことになるだろう。

だから孤独を恐れてはいけない。

自分の信じる道をただ一人歩むだけの覚悟ができたときにこそ、本当の協力者や親友に出会うことができるのである。

2008.07.14 知と愛を磨く
学生時代の重要なテーマは知と愛を磨くということだ。

西田幾多郎の「善の研究」の中に、「知と愛」という一章がある。

哲学的でやや難解ではあるが、人間にとって「知と愛」は同じ精神作用のことであると書いてある。

自分の知性を高めて自分を良く知り、出会う人々を良く知り、社会や世界の仕組みを良く知る。

そして、最初は恋愛の形を取るかもしれないが、人間にとって最も大切な愛のあり方を学ぶこと。

これが自分が幸せに生き、出会っていく人々を幸せにしていくことのできる力である。

学生時代はその萌芽をしっかりと掴み取っていかなければならない。

学生が学問を忘れ、恋愛はただの刹那的で感情的なものとして受け止められていくならば、それは大いなる機会の喪失に他ならない。

しかし現実は、多くの学生がこの現実の欲望にまみれた世界で、若者らしい純粋さを忘れ果てて日々生活しているではないか。

それに歯止めがかけられる存在は、もはや存在しないかのごとくである。

学生は知性に磨きをかけて、自分や人を愛する力を身につけなければならない。

そのためのきっかけや環境はすでに与えられているのである。

もう一度、もう一度、自分の周囲をよく見渡してみることだ。

自分の出会うもの全てに無駄はない。

あなたが出会う全てのことには学ぶべきメッセージが込められている。