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2010.12.27 寛容について
学生時代には多様なものの考え方、ものの見方、そのようなものを身につけたい。

現代の社会環境や国際情勢を考える時、日本が旧来から有するような村社会的意識から脱しなければならない時期がきている。

日本の大学で在日のインド人がいじめを受けて、自殺する事件があったが、大学生の年齢で非常に幼稚ないじめをしていたことが明るみになってきている。

日本の大学生が、ほとんど全入の時代を迎えていて、大きな努力をしなくても大学生になることができる時代となった。人間にとって学力が全てではないが、大学生であってもいじめを行うという図式は様々な人間や考え方や価値観や生き方を受け入れられない狭さが大きな原因になっているだろう。

人間の言動には善悪の基準はあるだろう。
それは峻別していく必要はある。

しかし、人間の言動には全て、何らかの根拠や理由がある。

少なくともそれを知り、理解する努力をしなければならない。

表面に現れた言動だけを見て相手を決め付けて、レッテルを貼り、裁く行為は、寛容さから最も遠いものだ。

寛容について考える時、寛容であるためには、相手の言動の原因や根拠に目を向けるということが大切だ。
これができる人は、寛容であることができる。

大学時代には様々な価値観や生き方に触れて欲しい。

たくさんの人の生き方や、悩みや、苦しみや、そしてこの世界で犯罪を犯す人、罪をなす人、そのような人の気持ちさえも理解できるような大きな人間になることが、将来の自分の器を作る基本になる。

寛容であって、清濁併せ呑む大きな心でもって、他人に関わっていく。しかし、自らはしっかりとした生き方の指針や目標を持っていること。

寛容であるために、いつでも他人の言動の根拠や原因に目を向けよう。

その根拠や原因を理解した時、それは相手を愛した、ということになる。


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