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2011.10.23 下宿する
大学時代は1年目には大学から少し離れた場所に下宿していた。

急いで探した場所だったので、とりあえず住む場所を確保したという感じだった。

長い急な坂を登って、高台にある下宿で、朝と夜はまかないが付いていた。一人暮らしでは食事が心配だということで、親の意見を聞き入れてその場所に決めた。

自分の部屋の窓からは桜島が見えた。とても眺めのいい場所であったが、大学までは距離が遠く、毎日坂を昇り降りしながら大学に通った。

自転車もなく、バイクもなく、ただひたすらに歩いていたが、いい運動になるのはいいとしても、だんだん面倒くさくなってきた。

また下宿で出る食事もパターンが決まっていてだんだん飽きてきた(なぜかイカの料理がよく出た)。

大学ではサークル関係での飲み会なども多かったのだが、そのような時に食事をキャンセルしても代金が安くなるわけではなかった。ちなみにこの下宿の代金は朝と夜の食事つき、4畳半で4万5千円だった。

下宿のおばちゃんは一生懸命に食事を作ってくれて本当にありがたいという気持ちはあったが、金銭的な無駄や時間的な無駄はやはり自分には耐え難く、結局その下宿も1年ほどで離れて、大学が近いもっと安い部屋に引越しをした。この安い部屋というのは3畳一間で家賃6千円だった。

私はこの3畳一間の部屋に残りの3年間住み続け、大学時代を過ごした。

鹿児島では桜島が時々噴火する。

この部屋にいたときはその噴火の瞬間に噴煙が立ち上る光景を何度も目にしたし、爆発した時には部屋がゆれたものだ。

最初に住んだ下宿は幸い高台にあったために鹿児島の人を困らせるような火山灰の被害はなく、居住空間としては快適だったかもしれない。

大学時代に一人暮らしをしたことで、自分の時間の管理や金銭の管理、生活の管理など、様々な能力は身についたと思う。特にお金に関しては、がんばってやりくりした。

親に金銭的な負担はかけたくなかったので、奨学金(国と県から借りた)と時々のアルバイトでしのいだ。

時々急な時は親に仕送りを頼んだが、普段の仕送りはできるだけ断ることにしていた。アルバイトをやることで大学時代をつぶしたくはなかったので、節約を心がけることで乗り切った。

貧乏学生であったことは事実で、服なども同じような服を繰り返し着ていて、貧乏くさく、女性からも相手にされるようなことは全くなかった。自分としてもその分野はあきらめきっていたことがある意味で幸いしたと思う。

ただ人とのかかわりや付き合い、そのようなものが少なくなることで、色んな人から影響を受けたり、与えたりすることも大学時代のはじめには少なかった(今なら違う考え方をすると思う)。

この時期にはお金の持つ効用を十分に理解していなかったのだろう。

ただ、少しのお金を大切にして、節約をして、効率のよい使い方をしていくというスキルは、この時代に身につけることができたと思っている。


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