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大学2年の頃からは3畳一間の部屋に引越しをして、生活費を節約し、金銭的な余裕を生み出した。

家賃が6千円、食費が2万5千円、その他の生活費を入れても合計3万5千円ほどで最低限の生活は確保できた。

それ以外のお金は自由に使うことができたので、ひたすらに本を買って読み漁った。
大学では時々生協の主催で古本市をやっていたし、街に出ると当時はまだ小さな古本屋がたくさんあった。

そこで安い本をたくさん買って読み始めた。

3畳一間の部屋は瞬く間に本でいっぱいになってしまった。窓を一つつぶして本を積み上げ、本の壁を作った。

部屋が狭かったので布団は敷きっぱなしで、その上にコタツの台を置いて本を読んだ。

大学のいいところは、時間が自由になることで、夜遅くまで本を読んでも翌朝早く講義がなければ遅くまで寝ていることができる。

また、授業がつまらない時は、ノートだけをとって、あとはずっと読書をしていた。

高校の頃までは読書をする時間はほとんどなくて受験勉強に明け暮れたが(と言ってもそこまでは勉強しなかったが)大学時代は本当に時間の自由が有り難かった。

大学に入ってから、初めて、自分で進んで勉強をしたと思う。

興味や関心がどんどん広がって、専門の法学だけではなく、歴史や経済、政治や社会、哲学や文学、人類学や科学など高校では学べなかった科目を読書によって学び始めた。

日常が読書一色になった感じがあって、大学の教養課程はその意味でとても楽しかった。

休みの日には図書館に通って、語学の勉強と読書をした。

自分がこんなに読書が好きであるとはそれまでは全く思っていなかった。

大学に入ってから、ようやく勉強が楽しいものであると感じられるようになった。大学1年の夏休みには図書館に通い詰めていたため、母親が驚いて、高校時代にこれくらい勉強していたらもっといい大学に行けたのに、などと俗的なことを言っていたのを、今でも憶えている。
(ただ大学1年次の夏休みは高校時代の悪友に誘われて一日2時間ほどはパチンコ屋に行き、たくさんのお小遣いを稼いだ)

本当に勉強するということはどういうことなのだろうと、この時期に考えた。もちろん高校時代の受験勉強が無駄であったとは思わないが、楽しさが全く違う。

点数をとるという楽しさはあるが、その意味で受験勉強は確かにゲームのようなものかもしれない。ある予備校の講師がそのような趣旨のことを受験生に語っていたが、そうだろうと思う。

受験は点を取るゲームとして楽しんでやればよかったと思う。

高校時代はそのような考え方ができなかったので、あまりにシリアスになりすぎて、悩みが深くなってしまうのだろう。確かに成績が振るわないといって、自殺する生徒もいたりした。

本当の勉強や知的世界は受験とは関係なく存在している。

その世界には誰でも飛び込むことができる。その世界に飛び込むのには資格なんていらない。好奇心と探究心があればいい。

大学時代にそのような世界を垣間見ることができたことは、本当に幸せだった。


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