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大学時代に、授業に出てこなくなり、自分の部屋に引きこもってしまう学生がいた。

人間関係がわずらわしい、とか、サークルの人間関係がうまくいかないとか。

そのような面倒臭さは、人間同士の関係の中ではつきものである。大学も、ある種の社会の縮図であるから、先輩や後輩、同級生、先生など様々な人間関係がある。

人間というのは、本当に理不尽なもので、一貫性や論理性で考えても、理解できないものである。感情があり、様々な空気や、場の力、多くのものの影響で変化する。

それぞれに個性があり、それぞれに背負っている背景があり、今まで生きてきた経歴がある。場や状況が違えば、これまでとは違った行動をし、違った発言をする。また、自分の前で見せる顔と、他人の前で見せる顔がまるで違っていたりもする。

そうだ。

しかし、それが人間であり、自分自身も、このような面が全く無いなどとは決して言えないだろう。

そのような意味で、大学時代に多少の人間関係でのつまずきなんかで、決して人間嫌いになってはいけない。

人間の全体をつかむことは、それほど容易ではなく、困難なものである。

相手をこのような人だと決め付けるから、それと違った面を発見して傷ついたり、失望したりする。

しかし、それはそうする方がおかしいのだ。

人間を信じるということは、ある程度の理解を前提としながらも、その未知の部分を受け入れることを意味している。だから、自分が理解した範囲で、自分が知っている範囲で、相手を信じるというのはおかしなことなのである。

まだ見ぬ、相手の未知なる部分を受け入れることが、相手を信じるということである。

安易に相手を理解した気持ちになっているから、それとは違う面が見つかっただけで、大騒ぎするのである。

そして自分の理解を超えた部分に関しては、相手を異常であるとか、非常識であると決め付ける。しかし、果たしてあなたの、今までの、相手に対する理解は正しかったのだろうか。

相手を信じるということは、相手の未知なるものを理解し続けるということを「自分に」約束することだ。

学生時代の人間関係の中で、それを会得することは難しいことかもしれないが、少なくとも、様々な人間関係のトラブルやつまずきも、相手を理解し、自分の器を広げるための勉強の機会だと考えよう。

そして、どのような人間関係のトラブルや、問題や、つまずき、裏切りなどにあったとしても、それによって人間を嫌いになることがないようにしたい。

なぜなら、相手にとっては自分もまた、そのような人間かもしれないからだ。

自分にとっては理解できない面を友人がもっていたとしても、それにはそれなりの根拠があるものだ。それが理解できれば、相手を嫌いになったり、人間不信になったりはしない。

相手の未知なる部分を、理解し続けることが、相手を信じるということであって、実はその力は、人間の社会や目に見えない様々な存在に向けられていくものだ。そして、それこそが未来を創っていく力でもある。

学生時代は特に、自分の思考を開いておかなければならない。

様々な人々に対して、色々な社会や文化に対して、そして、目に見えない数多くの存在に対して。

これが、実は幸せになっていくために必要なことであることが、たとえ今はわからなかったとしてもである。















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