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朝の4時30分に起きて、それからいつものコインシャワーに向かった。

今はあまり存在していないが、100円玉を入れることで5分間シャワーが出るコインシャワーというものが近くにあった。

お風呂のない物件などは当時結構あって、銭湯なども近くにあったし、利用者もそれなりにいたものである。しかし銭湯はそのころから値段が高くなっていて、毎日利用すると結構な金額になってしまう。

病院の仕事なので、清潔さは要求される。私は朝からいつもこの100円シャワーを利用していた。

5時30分過ぎには電車に乗って虎の門病院に向かい、24時間開いている職員の休憩室(確か8階にあった)で勉強を始める。読書が中心だが、語学だとか法律だとか、好きな勉強をする。

ナースエード(看護助手)の仕事は8時から始まるので、少し前に病棟に行き、準備をする。夜勤の看護師さんたちが仕事をしている。時間が不規則で本当に大変な仕事だ。

私は7階の病棟が持ち場だった。耳鼻科、神経内科、脳外科の病棟である。

この仕事で、どれだけ自分の健康に感謝したかわからない。人間が健康を害したら、本当にどんな人もその能力や可能性を、ことごとく制限されてしまう。

芸能人、政治家、一般の人々。ここでは誰でも1人の患者だ。

私は専門学校の採用試験を受けているときも、残り少ないこの病院での経験や出会いは大切にしなければと思っていたし、そうしていた。

ただこの段階では採用試験を受けていることなどは誰にも内緒にしていた。どこかに採用が決まるまでは、この場所で働き続けるつもりだったからだ。

専門学校の講師に採用される自信はなかったのだが、いずれにしても、この病院を出ていく日が近いことだけは確かな気がしていた。

今では就職試験の結果はメールや携帯電話で連絡が来るだろうが、当時は携帯電話などはほんの一部の場所で使われていたにすぎない。

インターネットも一般には普及しておらず、情報という意味では、ほぼ何もないに等しい。

私は固定電話もなかったので、先方からの連絡は郵便のみであった。

一次面接の合否結果は、郵便で送られてくるのを待つしかなかったわけである。

私と同じ日に面接を受けたメンバーは、すでに社会人として立派な実績のある人もいたし、深い専門知識を有する人もいた。畑違いの看護助手である私が採用される可能性は高くなかっただろうと思う。

可能性があるとすれば、その専門学校には「公務員試験」を目指すコースがあり、一般教養試験や法律、経済学などの知識が必要とされたことと、完全担任制をうたっていた(当時)専門学校だったので、一部の専門家よりも知識の幅が広い人間のほうが向いているという面があったことだろう。

私は読書だけはしていたので、自分の知らない分野でも一から勉強すれば教えられると思っていた。要するに、日本語で書いてあれば、読んで理解できない本はないという勝手な自信を持っていた。

所詮人間の書いた本であるし、人間が作ってきた専門分野だ。理解は可能であると。

学生時代に多少学んだ専門分野の本を古本屋で何冊か買って、勉強し始めたころ、その専門学校から一次面接の合格の封書が届いた。
















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