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「人生とは、切符を買って軌道の上を走る車に乗る人には、わからないものである」

Kのノートの最初に書かれたこの言葉の意味を、自分なりにもう一度考えてみた。

「切符を買って軌道の上を走る車」。これは何を意味しているだろう。

お金さえ払えば、黙っていても、ある場所に運んでくれるもの?

実際は人生においてそのようなものは存在しないだろう。どんなにいい学校を出ても、いい企業に就職できても、また誰と結婚しても、どんなにお金があったとしても、それが人生の充実と幸福を保証するとは言えない。

しかし、考えてみると、どんな時でも、どんな環境でも、いつも切符を買って軌道の上を走る車に乗っているような気持ちで生きている人はいる。

自分の主体的な人生を放棄し、いつもいつも何かに寄りかかって、自分で自分の人生を生きていない人だ。

自らの主体的な関わりなしに輝く人生なんて、どこにもないというのに。

Kは自分勝手に生きていたように見えたが、決して他人に寄りかかったり、他人のせいや環境のせいにするような、そんな考えを持っていなかった。

どんな選択も、どんな行動も、どんな決断も、全ては自分がやったこと、自分の責任だと言っていた。

環境が悪かったから自分はダメになった、他人が悪かったから自分は落ちぶれた、上司が悪かったから仕事が楽しくなくて辞めた、結婚相手を選び間違えたせいで、自分の人生が不幸になった、親がどうしようもない人だったから自分もグレた。

このような考えは、この社会のいたるところに蔓延している。

しかし、結局はその人は、その環境や境遇の中における選択において、そしてそこでの考え方において、敗北したのである。

実は、人間はどんな場面においても、どんな環境においても、幸せに近づく選択をすることができる。

その選択ができないと嘆いている人は、すでにその環境の中に、自分の人生を預けてしまったということなのだ。

Kは少し極端なくらいに自分に矢印を向ける人で、いつも自分が悪かったと言っていた。そして自分の判断や選択に色んな人を巻き込んできた、と語っていた。

Kは、私から見ると気が小さく、気弱に見えたりもしたが、自分の責任を自覚していたという点においては、勇気のある人だったと思う。

切符もなく、決められた軌道もなく、そして勝手に走る車も、Kの心の中には存在しなかったのだろう。

自分に起こる全てのことを、実は自分が起こしているのだと、私は考える勇気が持てるだろうか。

Kのノートを手にしながら、そんなことを考え続けた。








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